『細胞の分子生物学(第6(第7)版)』を読もう

分子生物学・医学に、私達が手伝えることはないかと、確かめようという試みです。スマホで、PC版の表示をさせたい人は、印刷をするときなどのてんてんてんというボタンにタッチして、メニューから、PC版サイトをクリックして下さい。

DNAの冒険(その5)

 現在2024年10月13日19時53分である。(この投稿は、ほぼ3971文字)

麻友「あら、ヒッポファミリークラブの本なんて、久し振り」

若菜「前回って、どんなことやりましたっけ?」

私「『フーリエの冒険』は、

mayuandtaro.hatenablog.com

が、最後。『量子力学の冒険』は、

662607015.hatenablog.com

が、最後。『DNAの冒険』は、

molecular-biology-of-the-cell.hatenablog.com

が、最後だ。だがどれも、入り口で止まったままだ。なんとかしたい」

麻友「太郎さんって、もの凄く偏った勉強してるし、大学受かった後、ほとんど家庭教師も、してない。それに、教職課程も取ってないから、中学生や高校生の、教え方も、ろくろく知らない。本当は、私達が、出来の悪い生徒の役を買って出てあげて、太郎さんを教育してあげたら、良いのかも知れないけど、今のところ、上手く行ってないわね」

結弦「上手く行ってないようだけど、もう9年以上、このブログが、お母さんの前で、続いているのは、お父さんに取って、得るものが多かったからなのかも、知れない」

若菜「お父さんのお父様、つまりお祖父ちゃんは、お父さんと同じくらい、或いはもっと、勉強が好きな人だったけど、自分の勉強を、他の人に見せたがらない人だったわよね。歴史上、孤高の数学者として有名なのは、カール・フリードリッヒ・ガウスだけど、ガウスは、数学の王様と言われるくらいだから、半端でない。でも、お祖父ちゃんは、オリジナルが好きだったけど、オリジナルな成果は、あったのかしら?」

私「企業に勤めちゃうと、論文を書くのは、会社に反逆することになっちゃうから、難しい。でも、液晶というものの量産化に貢献したし、夢よもう一度じゃないけど、有機ELの量産化にも、貢献した」

麻友「その、有機ELなんだけどさあ、太郎さんも言ってた様に、画面が折り曲げられるとか、凄い事は分かるんだけど、なんかあんまり売れてなくない?」

私「そうなんだ。有機ELが、商業レヴェルで量産化されたのは、私のはじめの携帯 F505i が、最初だ。2003年8月3日に、手元に来ている。だが、それから20年以上経ってるのに、なぜ液晶を駆逐できないのかというと、有機EL、綺麗なんだけど、寿命が短いんだ」

若菜「あっ、高いのに、すぐ壊れちゃうんだ」

私「すぐというほどではないけど、有機ELテレヴィの寿命が、30,000時間と、言われている。一年300日あるとして、1日10時間テレヴィをつけると、10年で、おしまい。10時間以上テレヴィをつける家なら、7~8年ということになる。これでは、高いのだし、売れない」

麻友「そうよねえ。なんとかならないのかしら?」

結弦「いっとき、プラズマテレヴィというのもあった。でも、消えていった。結局、液晶というものが、すっごく良いものだったんだねぇ」

私「有機EL というものの、認知度が上がって、もっと売れて、研究にお金をもっと掛けられるようになれば、有機EL も、もっと伸びるかも知れない」


若菜「お父さんは、今日の早朝0時2分に、昨日の投稿をしているので、この投稿を、今日のやや遅くに、投稿したい。だから、他の話をしているが、私は分かっている。『有機』という言葉は、昔は生物の体や、生物が作り出す、炭素を含んだ物質のことだった。そして、反対に、無生物のものを、『無機』と、呼んでいた。この有機EL の話から、分子生物学、『DNAの冒険』へと、つなげるつもりなのだ」

私「若菜、ご明察。もう、私も、英語の “Molecular biology of the cell,7th ed.” を読むの諦めたんだ。ブログの題名も、『細胞の分子生物学(第6(第7)版)』を読もう』に、変えようと思っている。私には、専門外の英語がバーッと、並んでいる本は、読めない。悔しいけど、日本語で第6版を、読み切った後でなら、第7版を読めるようになってるかも知れないから、型落ちだが仕方ない。第6版を読もう」

若菜「でも、お父さん。第6版の日本語訳だって、本体22,300円+1,784円(税8%)で、合計24,084円も、したんですよ。このまま、読まずに置いておくのは、勿体ないです。活用せねば」

麻友「若菜、良いこと言った。これは、ツーベースヒットと、見なして良いんじゃない?」

私「ヨシッ、若菜に200円」

DNAの冒険: ことばと人間を自然科学する

DNAの冒険: ことばと人間を自然科学する

  • 言語交流研究所ヒッポファミリー
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結弦「『DNAの冒険』、どこまで、進んでたのかな?」

若菜「あなたが、レポーターだったのよ」

結弦「はじめー9ページの1行目で、終わってたのか」

麻友「量子力学のことが、少し書かれている。ヒッポの人達は、『量子力学の冒険』を、経験しているから、スラスラと出てくる」

若菜「でも、おかしくありません? ヒッポの人全員が、冒険に加わったわけでもないのに、ヒッポが冒険したって言うの?」

私「それは、確かに、一理ある。ただ、ヒッポの本をいくつも読んでいくと、ヒッポのメンバー(全国各地にある「ファミリー」と呼ばれる場に集まっている人達)は、主に7カ国語、今では22カ国語をしゃべり合っているようで、しゃべる話題として、フーリエの冒険、量子力学の冒険、DNAの冒険、の中の出来事を、お互いどこまで理解しているか、確認し合っているようなのだ。時間と場が許すと、ゼミでのレポーターのように、ホワイトボードで、発表したりもしているらしい。単位も成績もなく、楽しく科学のおしゃべりができるのが、羨ましいほどだ。ヒッポの冒険は、皆の共有財産なのだ」

若菜「そこまでは、知りませんでした」


結弦「はじめー9ページから、はじめー10ページは、難しいことを、書いているけど、例えば、昨日のことが、全部分かっていても、今日のことを全部は予想できないということだね」

私「大雑把に言って、そういうことだ」

 現在2024年10月13日23時31分である。眠くなったので、中断。


 現在2024年10月14日19時06分である。再開。

麻友「太郎さんは、昨日、報告したい事が、有ったのよね」

私「7月18日に倒れて以来、アパートに入るところの、7段の下りの階段を、手すりにつかまらなければ、恐くて降りられなかった。今月に入っても、4段がやっとだった。ちょっとずつ、リハビリの積もりで、段数を増やし、昨日とうとう、7段、つかまらずに、降りられた。52歳になって、こんなことで、喜んでいるなんて」

若菜「これからは、段々、できないことが、増えていくのかも知れませんね」

結弦「このブログも、いつまで続くかな?」

私「あっ、酷いこと言って」

麻友「それで、DNAの冒険は?」

結弦「ちょっと、写す」

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ニュートンによれば、すべての「運動」は、{F=ma} という、ひとつの法則によって記述されます。それは「原因と結果」の連鎖、ある原因があって、それがある結果を生み、それがまた次の原因となって、それが次の結果を生み・・・と説明されていく。ということは極端に言えば、宇宙のいちばん初め、ビッグバンの時に何かが起こったとして、それを原因として、それ以降、150億年に至る今までのすべてのことは、そしてこれから将来のすべてのことも、原因と結果の連鎖によって、自動的に決定されるということになるのです。ニュートン力学は、そのような決定論的な思想を内包しているのです。
 そこには「人間の意志」や、「未来への夢」などというものが入り込む余地は、全くありません。神ですら、その居場所を自然の中に失ってしまったのです。そして生まれたのが、「二つの科学」、自然科学と人文科学なのでした。

 ところが量子力学においては、人間の「観測」という行いが、理論の中枢に含まれるのです。人間が観測するということにより、「あちら側」であるはずの自然が、そのふるまいを変えるのです。客観的であるはずの自然、原因と結果の連鎖で決定される、確固とした自然像が、大きく転換しなければならなくなったのです。

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        (『DNAの冒険』はじめー9 より)

麻友「なにこれ。今まで太郎さんは、あまり哲学的には、話してこなかったけど、量子力学の哲学的側面というものが、あるのね」

結弦「取り敢えず、はじめー13 ページまで、読んでおいて。はじめー14 ページから、DNAの冒険 に旅立つ話が、始まるから」

麻友「今日の話は、易しい部分と、難しい部分の、ムラがあったわね」

若菜「まえがきに拘っても、仕方ないんじゃないでしょうかね」

私「本それぞれ、良い部分と良くない部分がある。ひとつの分野でも、何冊も読んだ方が良い。今日は、この本は、終わりにしよう」

若菜・結弦「バイバーイ」

麻友「バイバイ」

私「バイバイ」

 現在2024年10月14日21時29分である。おしまい。