現在2024年6月12日3時09分である。(この投稿は、ほぼ3061文字)
麻友「随分、早いじゃない」
私「早く目覚めてしまうこともある。今日は、1時50分に、起きてしまった」
若菜「薬飲んで、もう一度、寝たらどうですか」
私「余り毎日、セロクエル3錠飲んでいると、鬱になってしまうんだ」
結弦「それで、今日は、セルを、進めるの?」
私「まだ、5行弱しか、進んでなかったな」
若菜「『細胞の分子生物学』のレポーターは、誰でしたっけ?」
麻友「ガロアが私、『量子力学の冒険』が若菜、『フーリエの冒険』が結弦だった」
私「私かな? じゃあ、始めよう」
ここで、眠くなり、もう一度眠った。
現在2024年6月12日7時55分である。再開。
私「始めよう。
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原文
Yet our ancestors, knowing nothing of cells or DNA, saw that all these things had something in common. They called that something ”life” marveled at it, struggled to define it, and despaired of explaining what it was or how it worked in terms that relate to nonliving matter.
しかし、細胞や DNA について何も知らなかった私たちの先祖は、これらすべてに共通点があることに気づきました。彼らはそれを「生命」と呼び、それに驚き、それを定義するのに苦労し、それが何であるか、あるいはそれがどのように機能するかを無生物に関連する用語で説明することに絶望しました。
第6版訳
ところがわれわれの祖先は,細胞もDNAもまったく知らないまま,そこに何か共通するものがあることを感じ,その“何か”を”生命”とよび,それに驚嘆し,定義しようとし,それが何ものであり,どう働くのかを,物質との関連で説明しようとしてきた。
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(”Molecular biology of the cell” 7th ed. p.1)
と、ここまで」
若菜「やっと、一段落」
麻友「半年かかっても9行。訳本が出るまでに、第1章だって、訳し終えられないと思うわ」
私「それでも、良いんだ。今日は、これを訳した余勢を駆って、『力学の基礎』の訳を、チェックすることもできた」
若菜「それは、そうと、グーグル翻訳と、第6版の訳が、大きく違いますね」
結弦「第6版のこの部分の英文が、違うんじゃない?」
私「それは、私も、気になった。『説明することに絶望した』と、『説明しようとしてきた』では、日本語として、大分響きが違う。だが、私は、第6版の原書は持っていない」
麻友「それで引き下がる、太郎さんでは、ないわね」
私「まず、アマゾンの『なかみ検索』で、第1章だから見られるかと、試した。だが、この本はもう古本になっていて、見られなかった。次に、PDF が、インターネット上に、ただで落ちていないかと、探した。Molecular biology of the cell Sixth Edition. という雑誌記事を、ダウンロードしてしまったりしながら、遂に第6版の英文を、見付けた。果たせるかな、英文は全く同じだった」
若菜「お父さんも、辛うじて、Z世代に、追い付いてますね」
結弦「Z世代は、1990年代後半以降に生まれた子供だよ。Windows 95 の後だ」
私「まあ、古傷暴くな」
麻友「それで、英文が同じだとすると、『絶望した』は、間違い?」
私「despair という単語に、絶望という意味があり、その動詞形の過去分詞 despaired が、受動態として、現れているのだと思う」
麻友「あっ、太郎さん。素晴らしい参考書、確かに読んでいるのねえ」
私「復刊されたけど、ソフトカバーになっちゃったみたい。
英会話の授業の前に、2,3ページ読んだりしている。私の英文法は、大学受験のときの英文法教室(新装版ではないが)と、中退後に上の本を読んだのとで、出来ている」
若菜「それで、完成訳は?」
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原文
Yet our ancestors, knowing nothing of cells or DNA, saw that all these things had something in common. They called that something ”life” marveled at it, struggled to define it, and despaired of explaining what it was or how it worked in terms that relate to nonliving matter.
しかし、細胞や DNA について何も知らなかった私たちの先祖は、これらすべてに共通点があることに気づきました。彼らはそれを「生命」と呼び、それに驚き、それを定義するのに苦労し、それが何であるか、あるいはそれがどのように機能するかを無生物に関連する用語で説明することに絶望しました。
第6版訳
ところがわれわれの祖先は,細胞もDNAもまったく知らないまま,そこに何か共通するものがあることを感じ,その“何か”を”生命”とよび,それに驚嘆し,定義しようとし,それが何ものであり,どう働くのかを,物質との関連で説明しようとしてきた。
当面の完成訳
細胞や DNA をまったく知らなかったにもかかわらず、私達の祖先は、これらすべてに共通するものがあることに気付いた。彼らはそれを「生命」と呼び、それに驚嘆し、それを定義しようとして手こずり、それが何であるか、あるいはそれがどのように機能するかを、「生命」でない物質の言葉で説明することには断念せざるを得なかった。
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(”Molecular biology of the cell” 7th ed. p.1)(比較のため、『当面の完成訳』以外は、この投稿の上のものと同じである)
結弦「良いとこ取りか」
若菜「『絶望』という言葉は、消したんですね」
私「ちょっと、強すぎるように、感じたからね」
麻友「良いんじゃない? 久々にセルを、やって」
私「もう、数学や物理学は、麻友さんに到底分からないものを、書くことになっている」
麻友「良いのよ。太郎さん。グングン進んで」
私「じゃあ、今日はこれで、解散」
現在2024年6月12日22時56分である。おしまい。